【読者さんのコメントに返信】ボイトレと英語・歌の関係について


以前アップした動画に以下のようなコメントをいただきました。

 

英語を話す上で参考になるポイントがたくさん含まれていますので、動画とともに紹介します。

 

こちらがその動画です。

 

コメントは以下のとおりです。

 

 

ポイントごとに見て行きましょう。


小学校高学年ごろから洋楽にはまり、真似をしていたことが発音習得の大きな助けになったと考えています。


小学校高学年から洋楽とはなかなかのセンスの持ち主ですね!

 

私は最初の洋楽は中学2年ごろに流行っていたベイシティ・ローラーズ(Bay City Rollers)からのロゼッタストーン(Rosetta Stone)というミーハーな(?笑)グループでした。Bay City RollersはRosetta Stoneの先輩のような存在で、私の友人たちはBay City Rollersの方にお熱でしたが、私はギターのイアン・ミッチェル(Ian Mitchell)のいたRosetta Stoneにハマっていました。

 

これがそのロゼッタストーン(当時は口パクが当たり前だったらしい。。)

 


 

彼らの曲の中で好きな曲 "Sunshine Of Your Love"。もともとはエリック・クラプトンのいたクリームのナンバーなのだけれど、当時の自分はロゼッタ・ストーンの曲という認識しかありませんでした。(これもおそらく口パク・笑)

※(1:49)あたりからのギターソロはギターのイアンが弾いているものだとばかり想像していたが、向かって右側のアンディ―が弾いとるやないかぃ!

 

そしてこれが私の好きだったイアン・ミッチェル。今見ても胸キュン♥

 

私にとっては初めて好きになった外タレということもあり、雑誌やポスターなどからしか得られない情報や(当時三重テレビというチャンネルで海外アーティストを特集している番組を放送していたらしいけれど我が家では三重テレビを観られるようにはしてもらえなかった…)、言語の違いがイアンをまるで別の次元に住んでいる宇宙人くらいに遠く感じていましたっけ。

 

はい、これがそれから30年後くらいのイアン。。

↑(3:40)あたりではベースが音を間違えて慌てて直してる(苦笑)。ベースが違う音を弾くと目立っちゃうから責任が重いんだよね。。

 

こちらはイアンが38歳のときのインタビュー。まだまだ若い。

ごく最近の映像をYou Tubeで観たことがありましたが、時は残酷でした…。。

 

いろいろと先に余談をしてしまいましたが、これらの映像を観ると、中学生の頃の自分にはわからなかった音楽や英語が別の角度から観られてとても興味深いです。

 

当時は知る由もなかったけど、彼らこんな英語話してたのかぁ。とか。

 

話し方、言葉の選び方で今は彼らのパーソナリティまで感じられる気がする。

 

こういうタイムスリップをするときに英語を勉強しておいてよかったなと感じます。

 


しかしながら英語の思考回路ができていないので行き詰っている最中です。(英語難民)


別の機会に伺ったコメントでは、

 

『20歳のころ5カ月アメリカにいたが慣れる前に帰国。その後何もしないまま30年が無駄に経過したが、昨年学生以来、初めて英語の勉強を再開』

 

とあるので、英語の思考回路が構築されるための時間が短いだけだと思います。

 

『英語の思考回路構築』

 

というと何だかものすごいことのように聞こえますが、要は

 

『文のなりたちの違う英語の語順に多く触れて慣れる』

 

というだけの話なんです。

 

普段私たちが日本語を話しているときは日本語の語順で文を組み立てている。

 

そのままを英語の単語に置き換えるわけにはいかないので、

 

『英語ならこのように表現する』

 

という練習を普段から行っているうちにその『型』に慣れて行きます。

 

ただそれだけのことなんです。

 

例えば先日、琴だったか尺八だったかの和楽器を主に習っている方が新しくサックスを習い始めて、

 

『先生から『ドレミ』で説明されてもわからない。私の方がドレミに慣れないと』

 

と言っているのを聞いて驚いたんですが、和楽器ではおそらく『ドレミ』に代わる別の呼び方を使っているんでしょうかね?

 

確かにピアノでも私が小学校高学年の頃突然『ドレミ』を『エー』だの『ベー』だの『ツェー』だのって先生から説明を受けてなんじゃそりゃ?という気持ちになりましたし

 

バンド時代には『ドレミ』じゃなくて『CDE』とか、慣れるのに時間かかりましたっけね。

 

普段意識なく使っていた方式を一旦捨てて新しい方法を…というのは思考が停止したりしますが、少し困難な時間を経て慣れれば意識せずに使えるようになりますよね。

 

英語も何か言いたいことがあるとき、頭の中で常に

 

『これは英語だとどうやって言うんだろう?』

 

ということをやっているうちにだんだんとその法則に慣れて行くし、より短時間でできるようになります。

 

もちろんそれをするために文法やら語法の知識や、語彙を頭に入れておかないと出るものも出ませんけどね。

 

一つ一つが

 

知識を入れる

使ってみる

うまく使えない

調べる

またの機会に使ってみる

何度も繰り返す

高速でできるようになる

 

ということの繰り返しで、言えることが徐々に増えて行く。

 

気づけばいろいろなことが言えるようになっている。

 

そんな感じなので、その練習の時間を蓄積させて行ってみてください。

 

必ずできるようになりますから!

 


洋楽のおかげでアメリカンアクセントがそこそこ身についているので、「この人は流ちょうだろう」という錯覚を他人に与えてしまいます。


それはある意味すごいことですよ?

 

この方は音楽もされているということで、音楽耳のおかげで発音を真似るのが上手なのでしょうね。

 

中学生の頃ビリージョエルの曲を歌詞カードを見ても歌詞と歌声の英語が一致せず、どう歌ってよいかわからなかった私からすると『耳でコピー』できるというのはうらやましいことです。

 

確かに発音が流暢に聴こえると英語を上手に話すことができるという印象を与えますね。

 

私の動画内でも話していますが、私が耳にした『英語の歌を上手に歌う日本人シンガー』さんがまさに、歌のときと話す英語でギャップがあって驚いたというケースです。

 

俳優の上川隆也さんは、ドラマ『大地の子』で完璧な中国語発音のセリフを発話しているらしいのですが、実際には中国語は話せないとのこと。

 

もっと驚くことに、中国には地域によってたくさんの方言があるため、他の地域の中国人でも彼ほどの中国語は話せないらしいです。

 

本当にすごいことです。

 

この方も音感がよいのでしょうね。

 

(以下の動画を観たら何度も挫折した中国語をまたやってみたくなってしまいます…)

 

流暢だと誤解を与えてしまうことに関しては、僭越ながら私も以前そのようなことが悩みの一つでした。

 

私の場合は『まわりの日本人に対して』でしたが。。

 


最近発音とアクセント(訛り)は別物だと気づき、今までよりも注意をして勉強し始めました。


これに関しては具体的にどういうことをおっしゃっているのかよくわかりませんでしたが、別の機会にいただいた以下のコメント


オンライン英会話のチューターが「貴方はアメリカンアクセントは素晴らしいけど、時々発音が怪しい」と私の伸び悩み原因の一つに対してアドバイスをいただきました。私は英語も走り出す癖があるのか、発音がおざなりになり、英語のリズムも崩れて、自分も脳と口が追いつかず転んでしまう、こんな傾向にあると感じています。


↑と関連があるのかも知れませんね。

 

もしかすると、個々の単語などの発音の細かい部分にはあまり意識を払わず、全体のリズムがバッチリ決まっているから流暢に聴こえるし通じる、というタイプの発音をされるのかも知れませんね?

 

実際にお聞きしてみないと確実なことはわかりませんが。

 

また、それが伸び悩みにつながるとすれば、聴くこと(リスニング)に対してかも知れませんね?

 

単語の発音や、単語と単語をつなぐリエゾンには法則があるので、それを面倒でも一つ一つきちんと習得することで怪しい部分は解決すると思いますよ。

 

一つの法則を確実にすれば、他の同じ音も同様に改善されますからそんなに膨大なことではないです。

 

その発音の癖をつけるためには練習さえすれば確実に上達します。

 

 


趣味でやっているヴォーカルのために10年ぐらいボイトレも受けています。発声=ブレスコントロール、英語の発音、身体へ響かせる、喉を開くなどなど、多くのことを1度に出せるようになるまでにずいぶんと時間を使いましたし、まだ1つのことに集中して他ができていないということはたくさんあります。


一見カンタンそうなことも、無意識にできるようになるには予想以上に時間がかかりますよね。

 

私もボーカルのためのボイトレを始めた当初、腹式呼吸に切り替えるのに、日頃から『息を吸うときにお腹や背中側を膨らませる』ということを何週間か常に意識し続ける必要がありました。

 

その努力のおかげで今は全く考えなくてもできるようになっています。

 

最近になって声が出やすいと感じるようになってきましたので、以前からなかなか意識しないとできなかった『喉を開く』ということが徐々に体にしみついてきているのかなと感じます。

 

もともと長年に渡って自分は、喉を開く歌い方をしてこなかったことが原因で

 

『喉を開く歌い方=大人っぽい歌い方=自分らしくない』

 

というイメージを持ってしまっていたんです。

 

でもミュージカルの歌手の人たちはみな、口の奥を思い切り大きく(四角く?)開けているというのを知り、洋楽の歌手でも、上手な歌を歌う人はみな、柔らかい倍音の効いた歌声を持っていることに気づいたんです。

 

自分の歌い方を変えるとすれば、まず何よりも

 

『喉を開けた歌い方=自分らしくない』

 

という自分の中のイメージを変えることが必要でした。

 

それから何年にも渡って何人かの先生に歌を習うなどしましたが、自分の力量が追い付いてこずどうしたらよいのかわからず、ジレンマを感じては歌から遠ざかる…

 

そんなことを長く続けてきました。

 

しかし、最近になって生のライブを観に行ったり、ベースを練習したり、日ごろずっと音楽を耳にしていたり、いろいろなアーティストの歌を発掘したり、それに合わせて一緒に歌ったり…

 

そんなことをしているうちに、ミラーニューロン(高等動物の脳内で他の個体の行動を見てまるで自身が同じ行動をとっているかのように反応すること)やらの化学反応の影響か、自分の歌声に変化が生まれてきているのを感じるんです。

 

それには、いろいろな知識を一旦は入れて、頭で考えなくてもカラダが勝手に反応するための『長い時間』がやはり必要だったのかなと。

 

そして『いろいろな声や歌い方で自由に遊んでみる』ということも私には必要でした。

 

これは

 

『ひらぺったい幼い声=自分らしさ』

 

という先入観を払しょくするのに一番役立ったように思います。

 

遊ぶ中で『自分のイメージのタガを外す』手助けになったから。

 

やはりすべての自分のイメージは自分が作り出し、それに自分自身が固執しているのかな、と。

 

それからは歌声に対して、より自由な気持ちを持てるようになりました。

 

喉を大きく開かないひらぺったくて幼い声というものも自分のものであるし、そうではない大人っぽい歌い方の声も自分のものだ、と。

 

どちらも、その中間の声も、好きなように使い分ければよいのだ、と。

 

 

ずっと自分の声は上手な人の歌声に比べて劣っているように感じていました。

 

でも比べるからそう感じるのであって、これは他の誰でもなく唯一無二の自分の歌声なのだ。

 

そしてそんな感じで自分の声を受け入れられるようになってきて気が付くと、難しく感じていた

 

『あくびの喉で声帯を閉じて発声する』

 

という何だかワケのわからないものもストンと理解できた気がしました。

 

それを探しまくっていたときにはどうにも見つかりそうになかったのに…。

 

ほんとうに不思議ですよね。

 

そして不思議なことに、幼いころふざけて出していた声が大人になってからの歌声に実は関係していたとは最近になってわかったことです。

 

気恥ずかしくてふざけた風にしか発声できない、ということにも実はヒントが隠されていて、自分で探すようにとのミッションが与えられていたのでしょうか…??

 

 

 

私の自分の声に対する意識を変えてくれた一連の出来事は、以前アメブロで紹介したことがある、岡本太郎氏の『強く生きる言葉』という本の中にある

 

『他人が笑おうが笑うまいが

 自分で自分の歌を歌えばいいんだよ』

 

という言葉のおかげかも知れません。

 

岡本氏はこんな風にも言っています。

 

『みんなから

 歌がうまいと言われるヤツだって

 自分はうまいけどやはり

 あの人には劣っていると

 思っているものだ。

 

 そういう人の前で

 平気で下手に

 明るく歌を歌ってやれば

 きっとうらやましがられる』

 

『音痴同士の会を作って、

 そこで、ふんぞり返って歌うんだよ。

 

 それも音痴同士が、

 いたわりあって集うんじゃだめ。

 得意になってさ。

 

 しまいには音痴でないものが

 頭を下げて

 音痴同好会に入れてくれと

 いってくるくるくらい

 堂々と歌いあげるんだ』

 

 

この言葉を聞いてから気が楽になって、自分の声が以前ほど嫌いではなくなりました。

 

歌うことは自分を開放すること。

 

私は幼いころから何故か歌うことにものすごく『照れ』があって、歌うときはいつもふざけた声でしか発声できなかったんです。

 

幼いなりに何となく歌うことは『自分の内面をさらけ出してしまう行為』と感じていたのかも知れません。

 

だから私にとって『自分のほんとうの声で歌う』というのはある意味とても怖いことだった。

 

そして思春期以降はより歌うことに対して自意識過剰になってしまって。

 

恥ずかしくて心を自由にはできなかった。

 

今でも私にとって歌うことは『自分をさらけ出す行為』ではあるけれど、長い時間かかって徐々に自由になれてきています。

 

照れたりせず、もっともっと自由になっていい。

 

そういう意味では、この最近の歌の動画での自分はまだまだテレがある。かしこまってしまっていてつまらない。

 

もっとハッチャケないと(苦笑)。

 

 

この動画で歌ってからも私には歌での変化が起きています。

 

そしてやはり、大好きな洋楽を歌うとき、英語の歌詞を理解するという意味で、英語をやってきてよかったと心から思います。

 

ボイトレ一つでも人生の経験とリンクして、自分にしかわからない気づきや小さな感動がありますよね。

 

自分のカラダと向き合う時間、とても静かな時間だけれど大事な時間ですね。

 


アコさんの動画は数年前からチョコチョコと観ていましたが、最近自分のモチベーションにも変化がありアコさんのチャレンジ精神が自分の支えになり始めました。この動画は私の頭の中のことを整理して代弁してくれている気がします!


それはとても嬉しいです。

こちらこそありがとうございます。

 

私の最近のチャレンジ精神は、あることをきっかけに以前とは違ったものになっています。

 

以前は人に認められたいという気持ちが強かった。

 

でも今は自分の変化を自分で確かめるのが楽しい。

 

変化のきっかけの一つは、もうすぐ86歳の父親が介護認定されたことにより、人はこんな風に変化してくものなのだと目の当たりにしたこと。

 

体が動くうちに何でもやっておかないと勿体ないと痛感しました。

 

そしてもう一つは、『才能を伸ばすシンプルな本』や『からだで変わるピアノ』を読んで

 

『比べるべきは他の誰でもなく過去の自分』

 

ということがこの50代半ばにしてやっと腑に落ちたから。

 

以前は何をするにも人と比べていました。

 

そして私はついつい頭でっかちで、何を始めてもいきなりオリンピック級の上手さを求めてしまって、そうなれない自分にイライラする、ということばかりを繰り返していました。

 

向上心があると言えば聞こえはいいけれど、理想ばかりが高すぎた。

 

でも、上記の本を読んで『人と比べて勝ることに喜びを見出していたら、世界一上手にならないと満足しない』という当たり前のことに妙に納得させられて…。

 

『できなかったことができるようになる喜び』

『比べるのは過去の自分だけ』

 

そういう風にマインドを切り替えたら、どんな興味のあることも年齢や環境を理由にしり込みすること自体が本当にもったいないことだと思えたんです。

 

周りがどう思おうが関係ない。

自分がそれをやってみたいかどうかだけが大事。

 

練習すれば上手になれるんです!

 

以前こちらで紹介した、私が衝撃を受けた、56歳でスケボーを始めて1年の成長記録を公開している男性の動画にさえ

 

『若者が一週間でやれることを一年かかるとは、歳はとりたくないものだ』

 

なんて辛辣なコメントがありました。

 

確かに若者と比べたらハンデあるでしょう。

 

でも比べるのが過去の自分なのであれば、上手になって行く自分にはプラスイメージしかないわけです。

 

多少なりとも井の中の蛙的なものは仕方ないと思います。

 

でも逆に言えば、もう何を始めても世の中に通用させる必要がない年代になったのだからこそ自由にやっちゃえばいいじゃないの?

 

と思うわけです。

 

そのための練習を面倒でやりたくないという理由は一つもない。

 

だって未来の自分のなりたいを実現するための唯一確実な方法なのだから。

 

練習で自分が変化するのを感じることが面白い。

 

前回のブログでも書きましたが、自分が父親の介護をしていなかったら、自分がもっと若かったら、なかなか実感することはできなかったかも知れないことばかりなんです。

 

誰かが何かを始めたときに

 

『将来それを何のためにやるの?』

 

(別の言い方をすれば、将来モノにならないことならムダじゃないの?的な)

 

とついつい訊きたくなってしまうんですが、今の自分は

 

『(自分にとっての)どんな夢を描いているの?』

 

ということに関しては訊きたい。

 

そして今の自分がそう訊かれて答えるとすれば

 

『この先もっと上手になれたら楽しいだろうけど、将来別に何にもならないよ?それが何か?』

 

と胸を張って答えます。

 

 

また、この読者さんは別の機会にこのようなこともおっしゃっています。


確かにアコさんの発話を聴いていると伝える英語です。アコさんのオススメの中学英語35回音読、文型変化、試みようと思います。


外国人が話す英語だからこそ、シンプルに言いたいことを伝えることに重きをおくことが大事だと思っています。

 

そうするとウソのような話ですが

 

『伝えるのが下手なネイティブよりノンネイティブの方が上手に話す』

 

ということが起こり得てしまうんですよね。

 

日本人でもいるじゃないですか、何言ってるかわからない話し方をする人が。母語なのに…。

 

冗長な話し方で要点を得ない。

 

かと思えば、きれいな日本語で話す外国人の方がいたり。

 

そんなシンプルだけどわかりやすい英語を私たちは目指したいですよね。

 

そして英語はとてもシンプルに表現できる言語です。

 

必要以上に英語ペラペラになる必要などないのです。

(もちろん目指すことは自由ですが)

 

 

中学英語の音読や文型変化はもともとがカンタンで比較的短い文章なのでスピーキングの練習には使いやすいです。

 

特に文型変化の練習をすると口の周り(頭の回転)が速くなると感じます。

 

そうすると英語を口から出すのが楽しくなります。

 

35回という回数はあくまでも目安ですが、何も考えず回数だけをこなすというよりは、自分が今どんな英文に向かっているのかを意識しながら繰り返すことは効果的な練習において大切です。

 

このようにさまざまな形で英文に触れていることが英語を身につけるために必要です。


私も好奇心であれこれと手を出して、昔はバンドでキーボードを、今はボーカルをやっていますし、弾けないまま放置のギターが2本とウクレレ、マンドリンが部屋に転がっています。ずっと洋楽ファンです。先日のJイングラムの動画も同じ気持ちで拝聴しました。それと、最近アップされているアコさんのベースの練習に気持ちがワクワクしました。


きっと私と同じ好奇心旺盛なところで共感してくださったのだと思います。

 

また昔はキーボード、部屋には弦楽器たちが転がっている、今はボーカル、洋楽好きというところなど共通点が多いことも驚きですね!

 

自分では一つのことを始めると、他のことが一切どうでもよくなってしまうというのは困ったものだと思っていたんですが、最近になってそれも仕方がないことなのかもと自分を許せる気になってきました(苦笑)。

 

何より好奇心が旺盛な人は、常に新しいことに興味を示すためにコロコロと興味の対象を変えることが必要なようです。

 

こんな前向きな解釈を知ってから、自分が常に何かにワクワクしていたくなるのは理にかなっているのだと思うようにもなりました。

 

ベースは8年間もずっと保管されていて、ある日突然どこからかわいたように『お前が弾けばよい』というお告げのもと行動に移し、今日で練習は3週間に及んでいますが、そもそも弾けもしないベースを入手したときから今日のことが運命づけられていたような不思議な気さえします。

 

なにせ、まさか自分がベースという楽器を弾くことになるなんて、今まで生きてきた54年あまり想像もしなかったんですからね。

 

でも自分自身がなぜか一番、このベースの練習に支えられている気がするんですよね。うまく説明できませんが。

 

だからそんな私の姿を見て共感してくれるとしたら本当に嬉しいです。

 


最後に。


いただいたメッセージを(許可をいただいて)引用して私の返信とさせていただきましたが、メッセージをいただく私の方が元気をいただいています。

 

ありがとうございます。

 

そしてこれからもライフワークとして英語や音楽をずっと続けていってくださいね。

 

どちらも続けている限り上達し続けていくし、何より自分自身の心や人生を豊かにしてくれる素晴らしい宝物ですから!

 

お互いにがんばりましょう!

 

 

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