8か月のんびりしていたら英語のブレークスルー起きました


お久しぶりです。生きてはおります(笑)


 

久々の更新です。

 

前回のブログからなんと8か月ぶりです。

 

この間、人生において最ものんびりした時間を過ごしていました。

 

SNSへの投稿はおろか、ずっと日本語でも文章を書くことは(仕事以外では)ほとんどなかったので、ちゃんと日本語の文章で抽象的な内容が書けるか自信はありません(苦笑)。

 

ということで、いったん記事をアップした後もちょくちょく推敲するかも知れません…

 

(きっとするでしょう。いや、絶対にします。すると思います。ちょくちょく見てください)。

 

 

 


双極性障害の薬やめました


  

50代に入ってすでに2,3年が経過しますが、更年期とも今年に入って診断を受けた双極性障害ともどちらに属すのか得体の知れない体や心の変化が確かにありました。

 

今年の春から受診した精神科と並行して、週に一度50分のカウンセリングも行ってきました。

 

投薬を受けている間は、確かに薬の目的である「気分の波」というものは穏やかになっていたのですが、それと同時に以前のように「自分の考えを文章にする」という作業をする気がなぜか全く起きなくなってしまいました。

 

それで8か月の間は、以前没頭していたブログやら動画やらSNSへの投稿やら、すべてから離れて過ごすことになったのです。

 

(その間に世間ではみるみるうちに「インスタ映え」だのなんだの大騒ぎ・笑。ちょっとした浦島太郎気分を味わうことができました)

 

 

そして現在私は、「一生飲み続けなくてはいけない」とも言われている双極性障害の薬を、先生に相談しながらも自分の意思でやめました。

 

そう決めたきっかけ、このあたりの諸事情や断薬後の様子などはまた追々記事にしていく予定ですが、この間にやむを得ずというか、たまたま幸いにというか、人生においてこれほどまでにのんびりと過ごしたことがあっただろうかと思える時間を経て、双極性障害について、人生について、今後の生き方について、本当にいろいろなことを考える機会を得ることができました。

 

 

「人間万事塞翁が馬」

 

これは私の大好きな言葉の一つです。今回一度、今まで遅れまいとずっと離れずにいたことすべてを手放す機会を得なければ、自分の経験を通して実感することはなかったことが本当にたくさんありました。まさに怪我の功名。怪我したからこそ知りえた喜び。人間万事塞翁が馬。雨降って地固まる。災い転じてなんとやら。

 

人生何が功を奏すのかはわからないものなのだなぁと思います。

 

だからちょっとくらいアクシデントに見舞われてもオロオロしないことが大事かと。

 

物事には必ず別の視点からの見方ができるから。不運に見えてたとしても必ずしもそうだとは限らないから。

 

 

 

 


手放したらブレークスルーが起きていた


   

そして不思議なことに、この間英語の学習らしきことを必死に行うことは一切なかったにも関わらず、こののんびりしている間に、今までにないブレークスルーというものさえも体験しました。

 

「必死」に行うことはなかったけれど、「自分にとってとても重要なこと」だけは時間を見つけては行うようにしていました。ただそれだけで、英語の聴き取り力が各段上がって、確かに一つ大きな壁を越えた感触があったんです。

 

実はこの8か月の間にも、最初のころはもう外国語の学習自体にうんざりとしていた時期がありました。

 

「英語一つにもこんなに長い間頑張っているのにどうして今一つわかるという実感がないのだろう」

 

と、いい加減途方に暮れていたんです。

 

英語だけでこんな四苦八苦しているのに、もともと興味のあった中国語やスペイン語やその他の言語なんてお願いされたって絶対に学んでやるもんか!そんな膨大なエネルギーや時間を残り少ない人生につぎ込むくらいなら、何も考えず寝っ転がってお菓子でも食べながら好きなテレビドラマやお笑いを見てゲラゲラと笑い転げていた方がずっとずっと気楽だし幸せなんじゃないか!と。

 

 

もう英語なんてやめちまおう。いったん全部手放そう。

 

そんな風に思っていました。

 

(せっかく合格した英検一次免除の機会も惜しげもなく再び放り出しましたよ←これに関しても思うところあるのでまた書きます)

 

 

 

…しかし訪れたんですよ、

 

ブレークスルーってやつが!

 

それもガツガツなんてぜんぜんしていないときにシレ~っと。

 

なんの予告もなく…。

 

すべてを手放した~と思っていたときにひょっこりと…。

 

あんなにジタバタしていたときにはビクともしなかったのに(笑)。

 

 

 

そして今、確か半年くらい前まで

 

「ああ、どうしていくら耳をそばだててもそばだててもどうしてもモヤっとしてしか聴こえないものがあるんだろう。いつになったら聴けている!って感触を得られるのだろう?」

 

という苦悩やじれったさがあったはずなのに、今では

 

「たとえまだ問題がすべて解決していないとしても、ここまでわかるようになったことが素直に嬉しい」

 

という風に、

 

「まだまだこれだけしかない。いつになったら幸せは訪れるのだろう?」

 

から、

 

「もう今の時点で十分に幸せを感じられる」

 

というところに一気に移動してしまった。

 

(驚くことに不思議なくらいに実際にモヤモヤ→クッキリにもなったんです←これにはある練習方法がやはり効果的だったと後で腑に落ちました。それはまたシェアします)

 

こんな世界があるなんて、ほんの少し前の自分には「あるにはあるらしいけれど…」と、想像することくらいしかできなかったんです。

 

それが今自分の手の中にある。

 

長年英語を学習してきて、本当に心からよかったと思える一瞬でした。

 

 


外国語学習に苦労した人にしかわからない喜び


 

  

そんなことを書くと自慢気に聞こえるかもしれません。

 

でも私は長年、雲をつかむようなじれったい思いでずっと紆余曲折しながら、何度ももうやめてしまおうと思いながらやめられずに続けてきた人間です。

 

つい1年半ほど前にも、

 

「英検準1級から15年って、時間かかりすぎじゃん??」

 

と耳に痛い叱咤激励を受けたばかり。

 

(「短期間で試験合格」などのストラテジー関連の話題に対しては異論たくさんありますのでまたシェアします)

 

 

そのとき、悔しくて悔しくて言い訳したかったけどできなかった(涙)。

 

確かにね、時間はかかってしまいましたからね(汗)。

 

実際に実力もなかったし。

 

(その後一念発起ガリガリ勉して一次は突破しましたけど)

 

 

でも私のような苦悩を抱えた人がきっとたくさんいると思います。

 

そんなあなたに、今の自分だからこそ伝えられることがあると思うのです。

 

最初のころはわからなかったけれど、ここまであきらめずに続けてきたからやっと見える世界があります。わかることがあります。

 

日本人として、世界の多くの人々が共通語として使う英語を、どのようにとらえていけばよいのか。

 

外国語を上達させるということは一体どういうことなのか。

 

恵まれた環境で自然に外国語を身につけることができた人にはおそらくわからないであろうことがたくさん。

 

 そして苦悩した分、たとえそれがそれを生まれたときから触れている人々に比べたら多少不器用だとしても、だからこそ一層手の届くところに来たときに得られる喜びというものはひとしおです。

 

そしてそれは自分が生きている間中、自分を助けてくれる。自分に喜びを与えてくれる。

 

どこにいようと、自分の体で習得したスキルは、特に言葉というものは、なんの道具を持たなくても自分の体一つで地球上の(もっと言えば宇宙の!)どこに行こうともいつも持って歩くことができる。

 

これはどんな高価なブランドグッズよりも肩書よりも、自分にとっては尊いものだと思うのです。

 

 

 


「自分を幸せにするための自分らしい生き方」はすべての事柄に通じる


   

・・・さらっと久々の更新について触れようとしただけなのに、話がかなり支離滅裂になりそうなので、いったん休憩します(苦笑)。

 

とにかく、この8か月の間に、私は人生今までにないほどにゆっくりし、ほとんどすべてに近いものをいったん手放し、これから自分の人生はどうなっていくのか、だんだんと失われる「女性」ということに関してもいちどしっかりと向き合い、「~しなくてはいけない」「~という風に生きなくてはいけない」という縛りからいったん解き放たれて、ともすれば自分がゆっくりしている間にも周りや時代の流れにどんどん追い越されてしまうかもしれないという恐怖感をも素直に受け止めて、自分にとっての英語とはいったいどういうものなのだということなど、じっくりと考察するに至ったわけです。

 

支離滅裂の流れで、この間に私にとって生きるヒントとなったものをキーワード的にもう少しだけ・・・

 

 

★私の人生に突如として現れたパートナー(たち←いっそう意味深?笑)

 

(パートナーと言っても人間ではなく犬2匹♂♀・笑。女性らしさはいくつになっても忘れたくはないと思いつつも、ここからの人生女性としてもう一花咲かせようなどと高望みはさすがにいたしません…笑。でも、小さな彼らの健やかな成長とやんちゃな彼らとの生活は、更年期女性の微妙な精神状態をかなり助けてくれている!人間のパートナーよりある意味単純明快でいいかも・笑。何かを育てるのは楽しい。頼られるのも嬉しい。そして自分の責任において犬を飼うということがこんなに面白いなんて!猫ともぜんぜん違う犬の魅力ったら!彼らは引きこもりだった私を、毎日紅葉狩りや森林浴に連れ出してくれる!)

 

 

★お腹を抱えて笑うことでデトックス&エネルギー補給させてくれるお笑いの力

 

(しかもこれは、極められたセンスの日本語の海に触れるという大きな意味では、意外にも外国語学習にも深いつながりがあるのではと感じます。「母語を磨くと外国語も伸びる」とよく言われるように。そしてどの世界でもプロは同じだろうけれど、お笑いに関しては人を笑わせるということだけに、笑いで人を幸せにするのは間違いなく、最高の笑いを提供するために彼らが舞台裏でどれだけの努力をしているのだろうと想像するだけで心からリスペクトの気持ちがわいてきます…もちろんお腹の皮がよじれて痛くてヒーヒー泣けるくらい笑わせてもらってます)

 

 

★人生の折り返し地点を過ぎてからは、できないこと・自分にないものを嘆くより「自分にとって何が必要か」「今自分にあるものを活かす」に重きを置いた「半ば潔い諦め」のマインドセットで肩の力を抜くことの大切さ 

 

(ざっくり言えば、高望みしない。頑張りすぎない。少なすぎじゃない?ってくらいのエネルギー20~40%くらいの省エネを目指す。世間・一般に合わせない。合わない変わった自分を卑下せず受け入れる。こんな自分だからこそできることに着目する。結果・見返り云々でなく「好きなこと」だけを純粋に追求する。このあたりの感覚は、自分の年代と、今回の精神科とカウンセリング受診などの経験を通して自分で自分なりの居心地のよさを見つけられた気がします。このあたりについてもまたシェアします)

 

 

★自分の残りの人生に責任を持つ。自分を幸せにするために生きる

 

(どんな結果になろうとも、自分で決断して行動する。自分の人生の方向性を人に委ねない。人を幸せにするためじゃなく、人の人生を生きるのでもなく、自分を幸せにするために自分の人生を生きる。そのことに対して気おくれしたり遠慮したりしない。人の人生の外側だけを見てむやみに羨ましがらない。←これらの考えに至るまでには、自分の中のとても醜い感情を直視する必要がありました。そのこともまた別の機会にシェアします)

 

 

 

・・・このようなことが、だんだんと自分を変えて行ってくれたように思います。

 

(開き直り要素大!という話も・笑)

 

 

しかし何よりの変化は、あれだけ文字を書きたくなかったのに、気づけばここまで書いているということ!(笑)

 

(そしてブログの書き方も忘れていたけれど、何とかカンが戻ってきましたよ。そして書き出すと止まらない癖も・笑)

 

そしてそういう変わりつつある自分だからこそ、今自分に必要なもの(犬たちも含め)や考えと、いいタイミングで出会えることができたような気がします。

 

いろいろなことに気づかされました。

 

 

 

ああ、そしてこの歳にして念願の金髪にしました(笑)。

 

狂っている、年相応じゃない、といわれても気にしない。この際好きなことをすると決めたのだから。

 

(これにはある常識的・保守的な考えの美容師の方からゆる~いお説教を頂戴しました・笑。またシェアします)

 

 

あ、そして人間・女性として輝き続けるための女性磨きも復活しています。

 

(一時は英語の勉強のことしか頭になくて、完全に女捨ててましたから・汗)

 

残りの人生を健やかに生きるために、まず第一は自分の体を労わるということを大切にしなくてはいけませんね。

 

 

 

とりあえず今日はこんなところで終わります。

 

またそれぞれ説明して行きます。

 

とにかくゆっくり・・・がテーマなので、少しずつの更新になります。

 

(なる予定ですがスイッチ入ったらどうなるかは不明・笑)

 

 

ある程度まとまったら、この時期に訪れた英語のブレークスルーや、更年期を自分らしく生きるといった主旨の手記にしたいとも考えています。

 

英語やら双極性障害やら更年期やら、それぞれが一見全く関係のない内容のごちゃまぜのような感じがしなくもないですが、自分の中ではけっこうどれもそれぞれにつながっていて、共通のテーマに結びついていると感じています。

 

一言でいえば、「自分で決めて自分らしく生きる」ということに。

 

そのときはブログ記事に加筆しながらも、しっかりと推敲していかねばなりませんが(苦笑)。

 

 

今日は支離滅裂ながら、このあたりで(本当に終わり・笑)。

 

 

 

ここまで読んでくださって本当にありがとう。

 

 

 

 

 

(こんなところまで読むなんて、間違いなくあなたは相当な私のファンでしょう。笑)