【洋書多読】The Elephant Vanishes by Haruki Murakami

327ページ

 

今回読んだのは村上春樹著書の"The Elephant Vanishes"です。

 

なかなかの分厚さで、読み切ることができるかと心配しましたが、短編ということもあり意外に読み進むことができました。 

 

 

 

それでも短編の特徴か、村上春樹氏の文体のせいかわかりませんが、毎回話の終わりを迎えるたびに

 

『え?どういうこと??』

 

という謎を残してくれました(苦笑)。読んだ後でも話の展開が気になって仕方なくなってしまうのはそのせいでしょうか。

 

単に本の内容の感想ではなく、英語学習のための読書という観点から感じたことを書いてみます。

 

 


二人の翻訳の対比が面白い


Alfred Birnbaum氏とJay Rubin氏二人の翻訳家によって英訳されています。

 

そのことを知らずにいきなり読み始めた話 (THE WIND-UP BIRD AND TUESDAY'S WOMEN)Alfred Birnbaum氏の翻訳で、この本を読むのは難しいかも…と思わされてしまい腰が引けてしまったのですが、次の話 (THE SECOND BAKERY ATTACK) で文体が急にやさしく感じられて、また話の内容もとても興味深く ー とはいえ、読み終えたときには話の展開に『????』というのが正直なところだったけれど(苦笑)- そこから一気にこの本に興味を持つことができました。

 

自分自身の感触としては Alfred Birnbaum氏の翻訳は文語的で、Jay Rubin氏の翻訳は口語的という感じ。

 

途中常に、

 

『これから読む話がどちらの翻訳家のものかを読みながら当てよう』

 

という意識で読んでいました。

 

4分の3くらいまでは読みかけてすぐに正解できました。そのくらい自分には二人の翻訳は違ってみえたんです。

 

引き続き Alfred Birnbaum氏の翻訳には何となく苦手意識があって、できたら次の話は Jay Rubin氏で…と願う自分がいました。

 

そして唯一 "A SLOW BOAT TO CHINA" だけは(ちょうど眠たかったということもあるかも知れないけれど)、どうしても退屈で読み切ることができませんでした。

 

※一冊読み終えた今ならまた違う感想を持つかも。

 

でも不思議なことにその次あたりから、どちらの翻訳家か微妙にわからなくなってきて…。

 

"THE LAST LAWN OF THE AFTERNOON" を読んでいるときは、どちらの翻訳家なんてことはどうでもいいと思えるほど話に入り込んでいました。

 

読み終えて気づくとそれは Alfred Birnbaum氏 の翻訳だった…。

 

とても不思議な気がしました。

 

そしてこの "THE LAST LAWN OF THE AFTERNOON" の主人公と場面の雰囲気が、以前読んだことがあった Bob Greene"BE TRUE TO YOUR SCHOOL  A Diary of 1964" を彷彿とさせました。 


外国語をappreciateできているというピュアな感動を再び味わえた


実はこの "BE TRUE TO YOUR SCHOOL  A Diary of 1964"、本当にひょんなことから読むこととなり(おそらく名古屋国際センターのライブラリでたまたま手にした…くらいの偶然の出会いかと)、その当時自分は30代前半だったと思うんですが、この話の中に出てくる、主人公の複雑な気持ちや、それを表現する英語の文章に妙に共感して(当時まだパソコンを持っていなかったので)、感動した文章を逐一ノートに書き留めておいたんです。

 

それから18年ほど経過して再びこの本を思い出して、今度はこの本の現物を入手して読んだときは、なぜか心にピンと来るものがなかったんですね?

 

何がどうしたために、あれほどピュアな気持ちで読めたはずなのにそうではなくなってしまったのか??

 

それは長く心に引っかかっていました。

 

でも今回 "THE LAST LAWN OF THE AFTERNOON" を読んだとき、読みながら "BE TRUE TO YOUR SCHOOL  A Diary of 1964" を読んだときに感じたのと同じような気持ちを感じることができたんです。

 

一つには今自分がとても英語を書きたい気持ちが強くなっていて、純粋に本の主人公が置かれている状況や感情に共感するために本を読んでいるというよりは、自分がこの本を書いている著者だったら…という視点で英語の文章の作りを細かく観察していたのだとわかりました。

 

こんな風に書くんだ!!という発見と、それがわかる感動

 

と言いましょうか。

 

おそらく自分が英語のネイティブであれば感じることはできない感動なのだと思います。

 

※であれば日本語で書かれた本を、日本語を学習中の外国人が読んでも同じような感動を味わえるのでしょう。

 

英語を書くのに苦労している日本人の自分だからこそ、その言葉を母語とする人であれば当たり前のように見過ごしてしまうことがとても新鮮に感じられ、そこまで言葉を学んだからこそわかる感動を味わえることにまた感動するのですね。

 

そしてその一瞬は、英語を学び始めてからずっとずっと

 

『いつになればこの言葉を自由に使えていると実感できるようになるのだろう??』

 

と気の遠くなるような、つかみどころのない幻であると半ば諦めに似たような気持ちを抱えていた自分にとって、

 

『もしかしたら自分の語学力は、気づかないうちに着実に上達しているのかもしれない』

 

という希望を与えてくれます。

 

これは本当にごくごくまれにしか起こらないこと。

 

でも同時に、

 

今までずっと諦めずに続けてきてよかった、蓄積は裏切らないのだと確信できる瞬間

 

でもあるのです。 

  


再認識:『自分データーベース』を活性化させるために読書が有効


確かに30代前半の自分は、それまで青山静子先生の本に影響を受け、まず英検2級に合格、トントン拍子で準1級にも合格し、いよいよいろいろなことを自分の言葉で表現できるようになりかけていた時期でした。

 

大金をはたいて申し込んだ週1回のネイティブ講師とのマンツーマンレッスンで見せる日記を書くために、できるだけ自然な英語を書けるようになりたいと熱望していたと思います。

 

それで日記のように書かれていた "BE TRUE TO YOUR SCHOOL" に興味を持ち、そこから使えるぞ!と思う英文を次々書き出して自分のものにしようというエネルギーが湧いていたのでしょう。

 

当時はまだ仮定法過去などという表現を自分で使うこともできない時期でしたが(という状態でどこまで正確にこの本の英文を読めていたのかは謎…)、やる気だけは十分だった模様。

 

"THE LAST LAWN OF THE AFTERNOON" を読んだとき、そんな気持ちをありありと思いだしたんです。

 

最近ふたたび英文を書きたい気持ちがムクムクとしていて、英語の本を読むときはほぼ『書き手』の目線に立って読んでいるのだと思います。

 

そして常に『自分でも同じような表現を使えるだろうか?』という視点で文章を観察しています。

 

そんな風に読んでいると、次から次へと書き留めたい表現がどんどん現れてきます。でも話の先を早く読みたいので、その度にいちいち本を読むのを止めて書き留めるのは実際にはかなり難しい。

 

それで結局書き留めずに頭に残したままで一冊読むのを終える、というのがいつものパターンなんですが、こんな風に『書きたい!』という気持ちを持ちながら、どんどん読み進む、大量に読んで行く、というのが結局は一番言葉を感覚的に習得するために必要なのではないかと、感じます。

 

自分たちも日本語を習得する上で、いちいち書き留めたりせずに、どんどん出会っては忘れての繰り返しをしながら、自分でも書いて、まだ上手に書けなくても書いて、それ以上にどんどんいいお手本を読んで読んで、いい表現に出会って…

 

そんな繰り返しをしながら、自分の中に自分の辞書・『データーベース』のようなものを培って行くのではないかと思うのです。

 

もちろん母語は日常的に常に使って磨いているので、外国語よりは早く正確に習得できるというのはあるだろうし、母語であってもすべての言葉を大量に辞書のように正確に記憶することはできないので、その都度必要なときに辞書にあたる必要はあるでしょうけれども。

 

それでもいつも『会話集』『気の利いた表現集』を持ち歩くわけにはいかないし、話すときも書くときも、結局瞬時に行う際には『自分の中のデーターべース』から引っ張り出さなくてはいけないわけですね。

 

その『データーベース』がスカスカの状態では出るものも出ないので、やはり大量に言葉に接しながらどんどんデータを蓄積するしかないのだと思うのです。

 

 

文法事項を使えるレベルにまで持っていくのにも読書が役立つことを痛感しています。

 

たとえば文法で『仮定法過去』を勉強しても、すぐには使い方を習得することはなかなかできませんよね?

 

でも先日の "The Great Blue Yonder" や、今回のこの本を読んでいると、あちこちに『あのときこうだったら今頃…』的な表現があちこちに出てきて、

 

『え~っと現在起きてないことを言うときは "would"ともう一つの分は過去形だけで、過去になかったことを言う時は一方が "would have + 過去分詞"で、もう一方は "had + 過去分詞で…』

 

なんて頭で考えなくても、何度も何度も出会ううちに自然に馴染んできます。

 

そして読書をすることで、自分のペースで、その言葉が使われる最適なシチュエーションで、様々な語彙や表現に接することができる!

 

 

今回村上春樹のこの本を読みながら繰り返し出てくる表現に出会うたびに、読書の有効性を確信しました。

 


この本の英語について


 

翻訳家によって、読みやすさの好みが分かれるかも知れません。

(私は最初そうでした)

 

1冊を通して英検1級レベルの重要単語がチラホラ出てきます。

 

私は先回合格した英検一次試験の準備の際には、それらの単語をほぼ

 

『単語帳』で

『英単語=日本語の意味』で

 

のみ覚えていました。

 

確かにボキャビルをする際には、そんな風に一度に大量の語彙を覚えるのは効率的と言えます。

 

でもやはり実際にそれらの単語を感覚までに落とし込むには

 

単語帳以外の場所の、自然な文脈の中で出会うことが大切だし絶対必要

 

と実感しました。

 

というのも、覚えたはずの単語(確かに覚えたことは覚えている)なのに、すぐに意味を思い出せないものが、この本の中にたくさん出て来たんです。

 

確かに一度覚えた(出会った)記憶のあるものなので、新たに覚える単語よりは印象に残っているという点においてはずっと優位です。

 

でも、私は英検が終わった後、こんな状況になるのが一番いやでした。

 

せっかく覚えたのに時間が経つと忘れて行ってしまう…

 

だったら、試験が終わっても単語帳を回せばいいじゃん?

 

とすら思いました。

 

実際には実行できていません。する必要もないのだと思うのです。

 

こうして本を読んで忘れた単語に再び出会うことで、その都度記憶を上書きして行けばいいじゃないかと思うのです。

 

単語帳ではなく、ストーリーの中で再び出会ったら、もっともっと印象に残るし、そもそも忘れてしまっていてショックを受けたらそれも印象を強める手助けになるというもの。

 

試験英語の準備をするとき、単語帳の復習に追われて他の勉強ができないという、本末転倒な状況に陥ることも少なくありません。

 

実際私も一時期はボキャビルしかしていなかった時期がありました。

 

ボキャビルで手一杯になってしまって、他のことができなかったんです。

 

一時的には集中したボキャビルの必要があったとしても、それ以降は単語帳に縛られることなく、どんどん英語の海に身を投げ出すことで、単語帳でしか出会ったことがなかったちょっとヨソヨソしい態度の語彙たちと場違いなところでばったり出会って

 

『あれ、君、こんな意外な一面もあったんだね?ボクの知ってた君とちょっと違う…(赤面)』

 

と驚き戸惑いつつ仲良くなるのがよいかと!


まとめ


英検1級語彙問題に普通に出てくる単語に多く出会えるという意味で、英検1級の勉強をしている方々には、この本を読むことを強くお勧めします。

 

 

英語を自分で書けるようになりたい方にも、この本にはイキイキとして表現がたくさん詰まっているのでお勧めです。